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> 5w0d
先週日曜日の激混みにうんざりしたので平日にする。
待ち時間は相変わらず長いけれど座れないようなことはない。 内診では、小さな胎嚢が、無事見つかった。 7.5ミリ。順調とのこと。 2週間後に心拍を確認し、その後に卒業。 壮絶だった福岡での治療、産んであげられなかった3つないのち、ひとり古いウィークリーマンションでKLCにかよった日々をおもうと、何て今私は恵まれているのかと痛感する。 > 4w2d
18日にいくはずだった病院が仕事の都合でずれる。
任せっぱなしにしていた仕事が大変なことになっていた。 任せていた社員の能力不足より、仕事に対しての心構えやお客様への思い、 謙虚さ、今の状況に対する危機感が足りないことにイライラし、 つい声を荒げてしまう。 何とか20日の今日都合をつけて病院へ。 8時前から並ぶも、結局採血後の診断は1130になった。 「はい、今は4w2d、妊娠反応出てますね。来週またいらしてください」 > 経営者として
仕事の関係で、産休中の女性営業に電話した。
「二人目は考えないんですか?」 と、言われ、答える。 「会社経営の視点で考えたら、今なら、2人目はむしろつくった方がいいかも。私は想像力が乏しい人間なので、色々経験することでしか、社員への思いやりを深める術がない。 また、以前にくらべて社員は増えたし、もうひとり産んでるから、社員は勿論お客様や銀行も心配はしないと思う。ただ…」 「ただ?」 「大変そうだな、とf^_^;)」 移植の話は、しなかった。 18日から5日間新人研修があるので、判定日を17日にずらして貰う。 あと、9日。 > 移植
朝から分割状況確認の電話を入れても全然繋がらない。
受付に連絡して確認すると、2分割しているとのこと。旦那と娘と3 人でKLCへ。 キッズルームで3人で待っていると培養室によばれ、その後病室へ。 受精卵は4分割のグレード2だった。娘の時より良い。 前より時間をかけて子宮に戻された気が。うっすら出血はあったが、他は大きな問題はなかった。 判定日は5月18日。 > 採卵
子どもを旦那に預けてKLCへ。いつも通りの長い待ち時間を経て採卵へ。前と同様、我慢出来なくはないけど嫌な痛み。2つあった卵胞のうち、一つは空砲でもう一つは成熟卵。旦那の凍結精子も何とか活用出来たらしい。明日培養状況の確認。
その後会社にでて仕事して、女友達と新宿二丁目へ。 もし妊娠したらまた当分禁欲生活だなあ。 > 採卵前
副作用が恐ろしかったクロミッドだったが、今回は副作用らしき症状は殆ど出なかった。
育児に忙しくてそれどころではなかったか、妊娠→出産を経て体質が変わったのか、単に歳をとったのか。 病院は連休のせいか人が非常に多い。暫く待たされて内診。痛い。それでも、エコーで卵胞が2つできているのが確認できた。医師曰く、血液中のホルモン値も良いので5月4日に採卵とのこと。 やはりひとりいるからか、以前のような焦燥感やプレッシャーは殆どない。 4日は、家族3人で病院へ。 > 治療再開
一昨年前の年末に生まれた娘は1歳4ヶ月。
40近い共働き夫婦の育児はハードだが、子どもは無条件に可愛い。 2人と言わず、3人でも4人でも欲しいというのが本音だが、会社や年齢、体力や治療費のことを考えると、なかなか次の一歩が踏み出せない。 迷いを整理出来ないまま旦那と相談を繰り返し、 「1回だけ、チャレンジしてみよう」 と、いうことになった。 久々のKLCは、パネル表示システム等だいぶ改善されていた。 待ち時間も、以前に比べて短くなった気がする。 採血や尿検査の結果、今周期採卵が決定。 クロミッドと点鼻薬が出される。 副作用のことを考えると憂鬱だが、悩んでも仕方ないので、頑張ろう。 > 不妊治療総括
期間:約7年
費用:約500万 治療方法: タイミング、ホルモン補充、AIH(人工授精)、icsi(顕微受精) icsi詳細:セントマザー HCG-HMG採卵(自己注射) 採卵周期戻し×3 凍結卵戻し×1 内妊娠3回(全て流産) icsi詳細:KLC セロフェンでの排卵誘発×1 内妊娠1回(出産) 2回採卵失敗 辛かったこと: 流産 セロフェンの副作用(うつ) 昨日の出産は私の育児生活のスタートで、不妊治療生活のゴールだ。 もしかしたらまた2人目が欲しいと不妊治療を行うかもしれないが、それは今までの治療とは全く違うものになるだろう。 この不妊治療で、私は、本当に欲しいもの、守りたいものがあれば、それを手に入れるために傷つくことを厭わない「勇気」は、自分の中からごく自然に湧いてくることを知った。
切開した途端、
「ズルズルズル!!」 という音と共に、物凄い壮快感に包まれる。 そして、想像以上にしっかりした赤ん坊の泣き声が、分娩室に響いた。 時計はまだ11時15分になっていなかった。 「おめでとうございます、だっこしてあげて下さい!」 目の前には、ダウン症の徴候などかけらもない健康な赤ちゃんが、元気な産声をあげていた。 「終わった」 本当のスタートは今日からで、あくまで今日終わったのは、ただの不妊治療。 7年前、手探りでスタートを切り、すべてにおいて優先させた私の不妊治療は、最高のゴールを迎えることが出来た。 「あ、あのー痛いんですけどどうしたらいいでしょう?」
「あー、いきんでいいですよ、ウンチするような感じで。」 片手間な対応に何となく腑に落ちないまま、いきんでみる。 「あらー上手上手ー」 何故かその明らかに片手間な言い方が、逆に安心に繋がった。 陣痛がおさまると 「陣痛がおさまったらいきまずに深呼吸して、お腹の赤ちゃんに酸素あげて下さい」 と言われたので、その通りにする。 3回目のいきみで、頭が半分出てきたのをはっきりと感じたが、これ以上いきむと確実に裂けると確信した。 「こっ、ここから、どうしたらいいでしょう?!」 「あっちょっと待って!」 この時点で、まだ先生の準備が終わっていなかったのだ。 「痛い痛い痛い!!」 陣痛ではなく、無理矢理会陰が引き延ばされる痛み。 「そのままでいいよ、いきまないで!ちゃんと出てくるから!!」 すると先生が会陰を切ったのがはっきりとわかるが、何故か全くの無痛。 まだ理性はあるけれどこの痛みが夜まで続くのに耐えられるか不安になりながら陣痛と戦っていると10時半過ぎになった。
助産師さんの内診。この時点で、内診の痛みなんてどうでも良くなっている。 「あら、子宮口全開!!分娩室行きましょうかね」 慌てて助産士さんが車椅子を持ってくる。 丁度そのタイミングで強い陣痛がきた。その途端、生温かいお湯のようなものがバシャっと出てくる。 「あ、すみません、破水しました」 「大丈夫よ、さあ、分娩室に行きましょう。」 またあの痛みがくると面倒なので車椅子に飛び乗り、助産師さんに導かれて分娩室へ。 分娩台に登る前にまた陣痛がきたので、分娩台にしがみついて息を吐き、母に腰をさすって貰う。 落ち着いて分娩台に登ると、天井にスクリーンがあり、イルカの親子が寄り添って泳ぐの映像が延々と流れていた。 目の前には時計があり、丁度11時を指している。 剃毛が終わるか終わらないかの段階ですぐに陣痛がきたが、助産師さん達はまだ準備中。 陣痛間隔は復活したが、陣痛自体はどんどんきつく長くなっていく。
陣痛が来るととにかく一度四つん這いになり、 「ふーっ、ふーっ!」 と息を吐く。 「うううー!」 と思わず唸ってしまうこともあるが、息を吐くことに意識を集中させた方が、格段に楽になった。 そうするうち、ひときわ強めの陣痛が来て、中の人の頭が降りてきたのをはっきりと感じた。 いきみたい。 でも多分ここでいきんではいけない。 母に、片手で家から持ってきたテニスボールを肛門にギュッと押し当て、もう片方で腰をさするスタイルにきり替えて貰い、大分楽になる。 陣痛に有効だということは妊婦雑誌に書かれていたが、その時点では使うタイミングがわからないままだった。それでも家にあったので、とりあえず持ってきたテニスボール。 私はその時になって、誰にもおそわらずに感覚でその使い方を理解出来ていた。
朝9時に先生の回診と内診があり、子宮口4センチと言われる。
「この調子だと、出産は昼過ぎから夕方でしょう。」 その後陣痛の強さに加速がつき、間隔も10分からどんどん短くなる。 腰の痛みも、自分でさするのでは到底おっつかなくなる。 9時半に実母が来たので、早速腰をさすって貰う。 冷たい母の両手でしっかりさすって貰うと、自分でさするより何倍も楽になった。 もう数を数えたり陣痛間隔をはかったりする余裕はない。 短くなったが陣痛と陣痛の合間が来るのを励みに、ひたすら陣痛をやり過ごす。 その後陣痛促進剤を入れる点滴を助産師さんが引っ張ってきたので、今結構な陣痛が来てるので、促進剤は使用しない方向でお願いしたいと伝える。 「じゃあとりあえず入れてみて、きつかったら外しましょうか」 と提案されたので従うことに。 それから30分程すると、陣痛は強くならないが、陣痛と陣痛の間隔がなくなったことに気がついた。 これは耐えられない。 ナースコールして促進剤の点滴を外して貰うと、短いが確実に楽になれる「陣痛と陣痛の間隔」が、復活した。 頑張るぞ。 朝7時になり、再度助産師さんに内診してもらうと、まだ子宮口が3センチのままだと言われる。
「でも一応定期的に痛みは来てるみたいね、経口促進剤使う?どうする?」 いやどうするって言われてもと思いながら、何かの本で 「促進剤の陣痛は不愉快だった」 という感想があったことを思い出し、とりあえず9時の点滴での促進剤もあるので使いたくないと伝える。 その後、間隔は狭まらないが、幸い痛みは、胃の中のものを戻してしまう位強くなっていった。 それでもまだこの時点では、耐えられない痛みではなかった。 バルーンを入れた後便意が強くなり、何度もトイレへ。すると3回目のトイレでいきんだ拍子にバルーンが出てきた。
ナースコールすると早速助産師さんが来て内診。 「子宮口が3センチ位開いてるかな。でも赤ちゃんがまだ高いから、もうちょっとかかるかもね」 と言われる。 0時過ぎると、10分間隔で陣痛らしきものが来た。 ただ、耐えられないような痛みではない。 自分で腰をさすりながら「いち、に、さん…」と声を出して数を数えたら、40位でスッと楽になる。 とは言え、やはりぐっすり眠ることは出来ない。陣痛間隔をはかりながら陣痛逃しを続け、気がつくと空はすっかり明るくなっていた。 > 41w0d 誘発
1430に入院。途中、抱っこすることは出来なかったが、3回の妊娠までに到ることが出来た、セントマザー病院の前を通る。
「ちゃんと産んであげられなくてごめんね、今日は力を貸してね」 病院でバルーンの説明を受けてエコーで診察する。中の人は元気で、よく動いていた。 内診に移ってバルーンを入れるために子宮口を消毒する。 icsiで何回か経験があるが、痛くてつい唸ったりもがいたりして先生や看護士さんに失笑される。 こんなんで、本当に出産に堪えられるんだろうか? そしてバルーン挿入。何でも子宮内に水風船を入れて、中で直径6センチくらいにするらしい。そして子宮口が3センチくらい開くと、自然にバルーンが出てくるらしい。 その過程で、結構な人に陣痛がつくそうだ。 個室の病室に戻って実母といると、ちょっときつめの生理痛のような痛みがくる。 20分置きくらい。 実母はすぐに本陣痛が来るんじゃないかと期待したが、バルーンが抜けてから来ても間に合うと言われ、母は帰宅。 21時から定期的に痛みがさす。バルーンのせいか、ちょっと体勢をかえただけでも結構な痛さが。 誘発入院前日になっても何も変化がない。 仕事の電話を何本かしたらやることがなくなる。 暇つぶしに床磨きをしてトイレに行ったら、 「おしるし」 らしきものが確認出来た。 これがあると数日中に陣痛が来るらしいが、もう明日は誘発入院。 早く来ないかなと家中の床を磨いてみたけど変化なし。 > 40w3d
予定日越えてはじめての診察。いつも通り助産士さんがお腹に機械をあてて心拍を拾おうとする。だけど、今日はスピーカーから胎児の心拍音が聞こえて来ない。
私の心拍が途端に早まる。 「あの、胎児の心拍聞こえないんですか…?」 「え?ああごめんね、ボリューム下げてるからね」 慌てて助産士さんが機械をいじると、聞き慣れた、規則的だけれど有機的な音がスピーカーから流れた。 そのままNSTになったが特に問題点はなし。 エコーでも特に問題はなかった。母子共に体重は先週と変わらず。 「もう出てもいいんだけどね。」 先生はブツブツ言いながら 「このまま陣痛がなければ、来週の火曜日夕方に入院してください。そのままバルーンを入れて、陣痛がなければ翌朝促進剤を投与します。」 と淡々と説明を始めた。 「では、15日には生まれるということでしょうか?」 「今日陣痛が来てもおかしくないですが、15日には決着がついてると思ってもらっていいですよ」 水曜日には、会えるんだ。 > 40w0d
朝、なんとなくお腹がシクシクと痛い。
もしやこれが陣痛のはじまりか?と思い、本陣痛になればと掃除してみたが、床磨きに熱中しすぎたせいか、痛みがどっか行ってしまった。 結婚当時、この10年、夫と起業して、自分が社員20人以上の会社の代取になり、不妊治療に膨大な時間と金を注ぎ込み、故郷を離れて東京に居を構えることになるなんて、本当に想像さえしていなかった。 そして、この10年がこんなにハードかつタイトなものになることも、予想外だった。 産まれて東京に戻ったら、きっと、今まで以上に慌ただしい日々が待っている。 早く会いたいけれど、正直、もう少しのんびりもしたい。 > 39w3d
予定日まで後数日。
だいぶ下がって、頻繁にお腹が張るようになったけれど、産まれる気配は全くない。 私の体重も中の人の体重もほぼ変わらず。ただ羊水が減って来ていると言われる。 過産期に入って死産に至った親族がいることを伝えて、来週金曜日まで産気付きしなければ念のためNSTをしてもらうようにした。 不安はあるが、あまり焦らず、この子がこの子のペースで産まれてくるのを待とう。 > 38w3d
何となく下がってる気はするけど前駆陣痛もおしるしもない。
今日の診察では、先生から、中の人の頭が大きいとはっきり言われたので、 「水頭症の可能性はありますか?」 と聞くと、 「いえ、それならここまで持ちません。単に大きいだけです」 と言われた。 大体3000超位になるらしい。 予定日から1週間位は陣痛待ちになるそうだが、それでも、既に1ヶ月を切っている。 その後、出産手当金手続きの指示をだしたり銀行に事業計画の電話をしたり、なんとなく仕事と完全に手が切れず、毎日が慌ただしい。 産まれたらどうなるだろうか。 > 37w3d
今日の診察では、ノンストレステストを行う。
これは胎児の心拍数や胎動の状況を一定時間継続的に調べる診断だが、全く問題はないようだった。 前回の診断で採取したおりものの検査も陰性。 エコーではなぜか小さくなって胎児想定体重は2600前後。頭が大きいのと脚か短いのは相変わらずだが、差は1週間程度になっていた。 あまり私が心配するので、中の人が気を使ったのかもしれない。 正産期に入ったので、なるべく動いてお腹がはる状況をつくるように言われる。 また、予定日から1週間程度の遅れは特に何もしないとも言われた。 ゴミ屋敷一歩手前の実家の大掃除を頑張ろう。 > 36w3d
地元に戻って2回目の診察。今日は殆ど待たされなかった。 中の人は推定2900g。 「産まれる時は3500位になってるかなあ」 と先生がつぶやく。 出産時のことを考えると怖いが、大きな赤ちゃんは風邪をひきにくく丈夫らしい。良い方に考えよう。 エコー測定では、やはり頭が大きく、脚が短い。ダウン症の懸念を伝えると 「エコーではわかりません」 と言われる。 確かに、今更ダウン症がわかったところで何が変わる訳ではないんだけれど。 でかいだけあり、心音、胎動とも大きく、元気が良い。 決して居心地は良くなかったであろう私のお腹の中でここまで頑張った子だから、大丈夫かな。 > こどもに遺すもの
お腹の子に、私は何を遺せるだろうか。
零細企業の経営者であるかぎり、隠せない資産である不動産はリスクが大きくて持てない。 貴金属は私には価値が解らないし、管理する自信もない。美術品しかり。 現金も今後日本がどうなるかわからないから、遺せるものになりづらい。 手に職がつく教育、といいたいところだけれど、私と旦那のこどもなので頭の出来は、あまり期待出来ない。 弁護士や医師、薬剤師は到底無理だろう。 看護師、保育士、美容師が頭にうかんだが、看護師は4大出て保健師、助産婦にならないと相当に大変な仕事らしい。 保育士は待遇が良くない。この辺では有資格者でも時給が1000円切ることもざらだ。 美容師は資格がとれても器用さやセンス、話術がないと職業として成り立たない気がする。 今いろいろ考えても仕方ないが、何が遺せるか、は、これからも考えるだろう。 > 35w3d
母と一緒に、地元の産婦人科に向かう。
手違いで2時間近く待たされ、事務員さん、助産婦さん、先生皆様から謝られる。が、私達はセントマザーやKLCで 「産婦人科は2時間まつもの」 と思っているので、こちらが恐縮してしまった。 入院する時必要なもののリストを貰う際や、陣痛間隔やおしるし、破水した際の対処等の説明を受けて少々不安に。 後1ヶ月。 その後診察に。 「顕微受精なんですね」 と言われ、ちょっと複雑な気持ちに。 推定体重2700と言われてビックリする。 それ以外は逆子に戻ることもなく、元気そう。 > 帰省
東京から福岡に飛行機で戻る。今回はスカイマークで戻ったが、JALの方が妊婦に親切だった。
飛行機から降りるとそのまま会社に向かい、お客様にご挨拶をして、社員に業務の引き継ぎを行う。 なかなか上がらない売上や私がいなくなって自己中心的になってきた幹部の話等聞くと、まだ身体の動く今、本当にここで産休をとるべきなのか不安になる。 社員には、出産後は1ヶ月は使いものにならないらしいけれど、それまでは出来る事はするからいつでも相談するように伝えた。 > 出産と家計
旦那と一緒に銀座三越へ買い物へ。
多分これが30代で2人最後のデート。 まず、旦那にバーバリーのトレンチとマフラーを購入した。 しめて10万弱。 次に、3か月お世話になる実家へお礼として、米沢牛をクール宅急便で送ることに。 お金も別にいくらか包むが、おそらくお祝いで戻されるだろうからと、旦那と決めた。 こちらは2万弱。 両方とも、おそらく最後の贅沢になるだろうと思い、購入したが、もう若干ヤケクソ気味だ。 そしてこのタイミングで、最近読んだドラッガーに感化された私は、家計を旦那に預けることに。 家計管理の責任を与えることで、彼がかわるのを見てみよう。 そして私は彼から食費その他生活費をもらう形にする。 ただし、私の収入と子ども手当及びお祝い金は私が預かり、子どもの保育費・学費等は私の収入から私が管理する。 > 鍼灸2回目
2回目の鍼灸院。
逆子がなおったお礼を伝えて、針とマッサージ、灸をしてもらう。 「顔がまだお母さんの顔じゃないね」 と先生にいわれドキッとする。 とにかく産休に入ったらゆっくりするようにと言われる。 マッサージをうけながら 「父親の仕事もとってくるし、扶養控除がなくなる年の12月ぎりぎりに生まれるし、逆子もなおったし、親孝行な良い子なんです」 というと、先生から 「親ばかがすぎるとバカ親になりますよ」 と、からかわれた。 そのまま、お客様との接待の場へ。こんな生活もあと少し。 > 仕事の整理
11月以降の旦那にわりあてる仕事が見えずに頭を抱えていたけれど、大きなおなかを抱えてお客様のところにごあいさつにいったら、
「出産祝いとして」 と、つなぎのお仕事を頂くことが出来た。 これで、少ないけれど、社員にボーナスを支払うことができる。 生まれる前から親孝行してくれているこの娘、もしかしたら凄腕の営業になれるかもしれない。 11月1日、2日: いくつかのお客様先をまわる 残作業の整理を行う 11月4日: 帰福後、お客様へのご挨拶とひきつぎ 上記終われば、ボーナス査定や技術フォローはあるけれど、ようやっと産休に。 逆子がなおったが、おなかはパンパン。 乳首を強く押すとうっすら母乳がにじむ。 身体が、「母になれ」と私をせっつく。 身勝手かもしれないけれど、早く妊娠出産に専念したい。 > 34w0d
東京の病院での最後の検診。 大きく動いた形跡はなかったのに、何故か逆子は治っていた。 へその緒も二重巻きから一重巻きに。 自然の摂理なのか鍼灸が良かったのか前日の旦那のマッサージが良かったのかよくわからないけれど、全てに感謝をする。 相変わらず頭が大きく、それ以外は比較的小さい。 重さは1921g。 ダウン症の場合は大腿骨だけ短いが、私の場合は頭以外が小さいので、恐らく単に小柄なんでしょう、とのこと。 また、完全に頭が骨盤にはまっておらず、胎盤がしっかりしているので、今後結構運動しないと産気づかないと脅される。ちょっとお腹が張る位で丁度良いらしい。 先生や助産師さんに御礼を言う。 「生まれたらつれてきてくださいね」 と温かい言葉をかけてもらう。 気がつけば、5月に受診してから半年経っていた。 < 前のページ 次のページ >
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